はじめに
社会人になって10年余り、日本の製造業でソフトウェアエンジニアをやってきたが、2023年を以て辞めることにした。
製造業とぼかしているのは、家電メーカーで8年、自動車部品メーカーで3年のキャリアをまとめて表している。
社名を出すのは控えておくが、どちらも日本を代表する大企業ではある。 (自慢っぽく聞こえるのは勘弁してほしい。)
いわゆる退職エントリーになるので、ネガティブなことも書くつもりだ。 ただし、曲がりなりにもお世話になった企業であるのと、特に2社目の自動車部品メーカーでは、
「うちの評判を悪くするようなことをしたら許さんぞ!」
という書類に、退職時にサインしているのもある。。。
いろいろあったが、自分はモノづくりが好きだし、ソフトウェアエンジニアとしてのアイデンティティはこれらの企業での仕事を通して培ったのは間違いない。 ネガティブな印象もあるかもしれないが、彼らが世界に向けて製品をリリースして日本経済を牽引してきたのは、日本の誇りだとも思っている。 そんな環境で働けたのは貴重な経験だったと思っているので、自身の体験談や思うところを文字に残しておこうと思う。
私自身のキャリア
前回の記事でも書いたが、自分のキャリアを簡単に書いておく。
- 2012: 某家電メーカーに入社
- 2020: 某自動車部品メーカーに転職
- フルスタックエンジニアになる
良かった点
メーカーは上流工程のみで、基本的にソフトウェア開発はSIerに丸投げというイメージがあるかもしれないが、 幸運なことに自分はずっと内製開発の現場で働いてこれた。 その経験を通して良かった点を挙げてみる。
優秀なエンジニアと一緒に働けた
何といっても最初にこれが挙げられる。
一言に優秀と言っても、イケイケのベンチャー企業や名だたる外資ビッグテックでも優秀なエンジニアと働けるチャンスはあるだろう。 それらと異なるのは、製造業のエンジニアの多くは組み込み系のエンジニアからキャリアをスタートしているところだ。
組み込みソフトウェアはサーバーで動作するソフトウェアと比べて、使用できるコンピューティングリソースやプログラミング言語の制約がはるかに厳しい。 そのためメモリー効率やストレージ容量、IOのレイテンシー、プログラムやアルゴリズムのパフォーマンスなどにも配慮した開発を経験しており、 ソフトウェアやシステムの理解度がかなり高い人達はいる。
中にはハードウェアや電子回路にも精通していて、 AWSなどのパブリックサーバーとRaspberry Pi、時には既製品の家電などを分解、改造して、プライベートでちょっとしたIoTシステムを作ってしまう人もいた。
彼らと一緒に仕事ができたのは大いに刺激になったし、 自分が目指すエンジニア像は、そういった先輩に由来している。
チャレンジャーとしての醍醐味
日本の製造業は、実際かなりGAFAMのことを意識してビジネス活動を行っている。 ビジネス領域が彼らと競合しているからだが、当然資金力では外資ビッグテックには適わない。 しかしだからこそ、彼らが参入してこないマーケットを模索したり、彼らと戦える技術やビジネス戦略を磨いている。
(ただし、大企業がリスクを取って、その戦略は実行に移すかは保証できないのだが、、、)
実際、日本企業が提供する製品で、世界シェアNo.1をキープしている製品は少なくない。 私自身は、それを足掛かりにして、放送業界や建築土木業界などに関わる仕事にも恵まれた。
日本の低い賃金事情もあり、外資ビッグテックで働くことは、エンジニア界隈では羨望になっていると思う。 ただし、それは海外の凄腕エンジニアが開発したサービスを後からメンテすることだったり、 言ってしまえば、既に強者となった企業をさらに強者に押し上げるに過ぎないともいえる。
それより下剋上を目指した方が仕事として面白くないか、という話だ。 もちろん、これをどう捉えるかは人それぞれだし、下剋上ならベンチャーで働けよと言われればそれまでである。
多彩な事業領域
日本の製造業は歴史が長い分、事業の多角化を行ってきている。 そして、社員の流出を防ぐ目的で、そういった事業間の人材の移動を促す仕組みを導入している企業もある。 社外に転職されるぐらいなら、社内で人材を流動性させた方がマシという訳だ。
私の場合はそういった社内ルールを使って、組み込みエンジニアからWEBエンジニアに転向することに成功した。 その際、会社が作った合弁会社への出向となったので、 大企業の給料をもらいながら、ベンチャーの環境で働くというユニークな機会にも恵まれた。
私が在籍していた会社では、他にも金融や不動産、エンタメ分野の事業部への異動も可能だったと思う。 いわゆる社内転職になるが、一般的な転職よりはるかに労力は少なくて済む。
欠点は、会社が変わるわけではないため、給料は変わらないことだ。 そこは外資系企業やコンサル企業への転職には適わないが、経験はプライスレスだ!
徹底したソフトウェアの品質管理
ソフトウェアの品質管理プロセスを経験できたことは、エンジニアとしての知見の大きなプラスになったと思う。 おかげで、開発業務において、品質管理まで先回りして意識したプランや試作を練られるようになった。
常時ネット接続して利用するWEBサービスやスマホアプリと異なり、 組み込み製品では簡単にソフトウェア・アップデートができない。 後でバグに気づいても、簡単には修正できないのだ。
そのため、製品リリースの際の品質管理は徹底している。 ただし、これはSQAにかける予算がなくて、開発エンジニアがある程度肩代わりしているためでもある。
また、品質管理は徹底していても、プロダクトの品質が良くなるとは限らない。。。
今の時代基準を考えると品質管理が「徹底し過ぎている」きらいもある。 アジャイル開発が主流の今日では、製品リリースに高いハードルを設定するよりスピーディーにバージョンアップしていくスタイルが好まれているように思う。
最新ツールは使い放題
お堅い日系大企業は流行りのツールの導入に慎重なイメージがあるかもしれない。 かつてはコードをGithubに上げようものなら、「うちのソースコードをクラウドに上げるなんて言語道断だー!!」と吠える偉い人がいたらしいが、それも今や昔。 開発でお馴染みのツールは使い放題だった。
- Github
- Slack
- JIRA/Confuluence
- Zoom
ただし、これは所属する組織や上司の意向にもよる。 これ以外にも、上司の意向でFigma, DeepL, Typora, JetBrains, Github Copilot, OnePasswordなどのライセンスも買ってもらえた。
もちろん、ChatGPTの利用も許されていた。 会社の機密情報を入力しないことが前提だが、社会人たるものそれぐらいのコンプライアンス意識は持っている。
トップダウン vs ボトムアップ
製造業に限った話ではないが、トップダウンとボトムアップ、それぞれの傾向の会社で働けたのは良い経験になった。
家電メーカーの方はトップダウンだった。 仕事が次々と降ってくるので忙しかったが、経験値の低いビギナー社会人としては良かったと言える。 おかげで実戦経験は否応なしに増えた。
自分が入社したときは、家電業界はリーマンショックのダメージから回復できておらず、 まさに株価が底を打ったタイミングだった。 そこから次々と施策を打ち、復活するにまで至ったのは一社員としても感慨深いものがある。
働いていたときは、「この会社、何も変わってなくない?」とか同僚と話していたが、 退職してみた後で、すごい体験だったなと改めて思った。
これに対して、自動車部品メーカーはボトムアップだった。 社員が有志で企画してエンジニアリング・コンペや労働環境の改善活動をしているのは、 トップダウン環境で馬車馬のように働らかされてきた身としてはものすごく新鮮だった。
また、自分がいかに仕事に対して受け身な姿勢だったかも反省させられた。
しかし、やはりトップダウンの企業の方が意思決定のスピードは速い。 家電メーカーで働いていたときは、そんなこと気づけなかった(むしろ遅いとすら思っていた)。 結局、仕事の早い遅いはマネージメントの問題なのだ。
給料
外資テック企業には及ばないが、 日本のエンジニアの給与水準から見れば高めの給料をもらえていた。
特に家電メーカーの方は、自分が辞めたあとに株価が大きく上昇し、 社員の給料も大幅アップしたらしいので、退職タイミングを誤ったことが悔やまれた。
先に転職していった先輩たちは、ほとんどが外資かコンサルに行った。 給料アップを目指すと、それぐらいしか行先がないのだ。
自分は在籍中に家を購入できなかったが、 住宅ローンの審査もパスしやすいらしい。 銀行からの信用度も抜群だ!
悪かった点
どんな会社にも欠点はあるし、何はともあれ辞めてしまった身なので、 不満点も挙げておこう。 しかし、心なしか「良かった点」より項目数が多くなってしまった。。。 まあ愚痴なんてそんなものだろう!
給料の伸びが遅い
これは時代背景もある。 自分が入社した当時、家電業界は赤字続きでなかなか給料が上がらなかった。 そのため個人の努力で収入が上がる感覚がつかめず、自分の収入を上げるために、試行錯誤するマインドセットがなかなか身につかなったと感じている。
「隣の芝生は青く見える」だけかもしれないが、 ベンチャーなどで会社の急成長にのって収入を上げていった人や、 副業を複数かけもちして収入を増やしている人の方がよっぽど逞しいと想像する。
あくまで想像なのだが、そういう人の方が最終的には早く資産を築けそうだ。
アプリ軽視がひどい
製造業2社で働いたが、アプリ軽視の傾向は本当にひどかった。 ここでいうアプリとは、クライアントアプリケーション、すなはち、ユーザーとの接点になるブラウザアプリやスマホアプリ、ユーザーインターフェース、フロントエンドなど全般を指す。
家電メーカーでは、アプリ開発エンジニアを評価する文化がそもそも無かった。
この会社の製品は、昔からユーザーから「使いづらい」と文句を言われてきてたので、 アプリに投資しないのはもはや伝統だった。 元々のハードウェア偏重の文化もあり、ソフトウェアに対しても「下回り(機械学習やアルゴリズム、バックエンド)をやっている人の方が偉い!」という明確なヒエラルキーも感じられた。
しかしこれはある意味正しい。 実際、巷でも機械学習エンジニアやデータサイエンティストが高給をもらっている。
エンジニアはフロントエンドを専門にすべきでないという話は俺もサポートしたい。
— サカモト@エンジニアキャリア論 (@sakamoto_582) 2022年12月29日
- 上位層の年収が低い(外資でフロントエンドのポジションが少ない)
- フリーランスとして独立しても単価が低い
よほど突き抜けられる人でないと俺はオススメできない。フルスタックとしてバックエンドもやろう。
私自身は、WEBエンジニアになったときに、アプリ開発からスタートしたこともあって、それ以降もアプリ開発を任された。 しかし、他の社員もアプリ開発は”できない”、”やりたくない”、なので、押し付け合いの感が否めず、 結局、これが会社を辞めるきっかけになった。
自動車部品メーカーの方はそういうギスギス感はなかったものの、 アプリ軽視の姿勢は同じ、というより彼らは完全にアプリを舐めていた。
簡単にアプリが作れると思っているらしく、 「UI、3日で作って。よろしく!」みたいなことを平気で言われることがあった。
また、理解がないくせにやたらとアプリを欲しがるのも困りものだった。 理由は顧客へのデモで見せたいからなのだが、そこにビジョンは何もない。 「とりあえず何か動くもの」「とにかく顧客の気を引くもの」がほしい程度のモチベーションで言ってくるので、要求は雑そのものだ。
ただ逆に言えば、細かいことは何も言われないので、好きに作れるというメリットもあったといえばあった。
詰め込み過ぎのプレゼンテーション資料
製造業に限った話ではないかもしれないが、社内のプレゼン資料は徹底的に情報が詰め込まれたものが好まれた。 完全にプレゼンのアンチパターンをいっているのだが、どうやら全ての情報が書かれていないと気に入らないらしい。
さらに言うと、複雑なワークフロー図やアーキテクチャー図のようなものを示すことで「仕事をやってる感」を示しているようでもあった。 毎回「ビジーなスライドで申し訳ありませんが、、、」といって資料を見せているマネージャーもいたが、 その複雑さたるや、まさに「モダンアート」だった。
面倒なのは、そういった資料作成をこちらにも押し付けられることだ。
以前にUdemyで、孫正義のプレゼン資料を作っていたという前田鎌利氏の講座を受けたことがあった。
前田氏によると、プレゼン資料作成の極意は、「常に見る人の視点に立った資料作成を行うこと」とのことだった。 それに沿うなら、彼らの資料は見る人のことなど考えていない。 自分がたくさん仕事をしていることを見せつけられれば、それでいいのだ。
優先順位をつけられないマネージャー
労働生産性が主要国最下位だけあって、日本人は優先順位付けが苦手なイメージがある。
家電メーカーはトップダウンの企業だけあって、「あれもやれ、これもやれ、全部やれー!!」とひたすら圧をかけていた。 当然疲弊してしまう社員も多くいて、優秀で真面目な人ほど休職してしまう、そんな職場もあった。
自動車部品の方は、「あれもいいね。これもいいね。よし全部やってみようか!」という感じだった。 こちらが優先順位付けや星取表を持って行ってもあまり意味が無かった。
昔から「日本製品は品質がいい」と言われてきた。 それは、値段の割に機能がたくさん盛り込まれていることを意味していたのだと思う。 しかし、それは意図してそうなったのではなく、優先順位をつけられず手あたり次第にぶち込まれただけなのかもしれない。
対外発表の機会はほとんど無い
大企業あるあるだが、対外発表に対してものすごく高いハードルが設定されている。
技術にオープンなチームでも、社内手続きが面倒過ぎてあきらめてしまうケースも何度か見た。
また、対外発表したい旨をマネージメントに話しても、「なんでそんなことするの?」と、 そもそも対外発表の意義を理解できない偉い人も少なくない。
会社の機密を守りたいのもあるのだろうが、彼らは他社と競争することを恐れているのだと思う。 特に自動車業界はお世辞にもビジネス活動のスピードが速いとは言えない。 他社と競合していることが知られたり、真似されでもしたら、ひとたまりもないのだ。
対外発表は会社としても実績アピールや認知度の向上、採用促進につながるし、個人にとってもキャリアに箔がつく! そういう経験を求めるなら、やはり純粋なソフトウェアカンパニーに行くべきだろう。
Brilliant Jerk
Brilliant Jerkという言葉をご存じだろうか? 優秀だけど、人間性に問題があり、チームをはじめ周りに悪影響を及ぼす人を指すのだが、 日本のエンジニアには特に多いとされている。
家電業界にいた頃は、まさにBrilliant Jerkと思われる人を何人も見た。 自分が在籍した会社は、かなり技術をリスペクトする風土があったが、 リスペクトするあまり、技術力がある(と思われる)人がやりたい放題するのを許してしまうところがあった。
私が知っているBrilliant Jerkの一人は、海外留学から帰ってくると、とてつもなく横柄になり、 課外活動をやりまくった挙句、外資に転職していった。
彼らは基本的に相手を論破するのが大好きだ。 また、コードレビューをするのも、されるのも嫌がる。 そのため、若手の頃は先輩にコードレビューを依頼するのが至難の業だった。
嘘っぱちのソフトウェアファースト
「ソフトウェアファースト」という言葉をご存じだろうか? 少なくとも日本では、元Googleの及川卓也氏の著書が起点になっていると思う。
ソフトウェアファーストをざっくり言うと、 「ソフトウェアを自社でコントロールする能力を持つことが、これからのビジネスの主導権を持つことにつながる。そのためにソフトウェアを内製化しましょう。」 というコンセプトだ。
電気自動車や自動運転が話題になり、 自動車業界ではこの「ソフトウェアファースト」がバズワードになっているのだが、そのままの意味では用いられていない。 あくまで「ソフトウェアが中心的な役割を担う自動車やモビリティサービス」という意味で用いられている。
多重下請けの権化の自動車業界が「ソフトウェアファースト」を実践すると、業界そのものが崩壊するのだ。
製造業のソフトウェア外注にはちょっとした歴史があって、 2013か2014年頃にオフショアブームが起こった。 大手IT企業の真似をしてソフトウェア開発を人件費が安かった中国、インド、ベトナムなどの企業に外注しようとしたのだ。 その頃は、「日本のエンジニアは手を動かす業務から離れ、マネージメントに集中すべきだ!」 という考えがまことしやかにささやかれた。
しかし、その結果はオフショア先が出してきたバグだらけのコードを日本人エンジニアが必死になってデバッグする負のスパイラル。 全く効率的でないことに気づき、オフショアは下火になった。
ところが、自動車業界はここから立ち直れなかったらしい。 私が在籍した自動車部品メーカーでも、ソフトウェアを内製化しようという声は上がったし、 何なら及川氏を招聘して社内講演までやっていた。
しかし、ソフトウェアの内製化は、反対派がうにゃうにゃ言って全く実現しない。 自分達が開発するとコストがかかるというのが彼らの意見だ。 彼らには、ソフトを内製化するテスラがぶっちぎりで高い利益率を叩き出しているのが見えないらしい。
根強く残る昭和の文化
先日、知人から『不適切にもほどがある!』というドラマが面白いと聞き、見てみた。
このドラマは、昭和の人間が令和にタイムスリップしてくるというストーリーで、 ある意味極端な、昭和の古き悪しき文化を面白おかしく描いている。
その一例として、阿部サダヲ演じる、野球部のコーチである主人公が、部員全員にケツバットをするシーンが出てくる。 部員の一人が練習中に水を飲んだことの罰として、連帯責任という理由で部員全員を並ばせてケツバットをしていくのだ。
詳しくは語るつもりはないが、、、 私が在籍した自動車部品メーカーでも同じようなことが行われていた。
断っておくと、体罰や言葉の暴力があった訳ではないし、そういうことが頻繁に行われている訳でもない。 ただし、この「連帯責任」は令和のこの時代でも好まれているようだった。
その理由としては、「組織で起こったトラブルを他人事と思わず、全員が教訓にする」ことを推奨しているからなのだが、 責任の所在をあやふやにする効果もあるのかもしれない。
私が経験したのは、同じ組織内の数人がトラブルを起こし、それをきっかけに50名以上いる社員全員が罰ゲーム的なこと(社会奉仕活動みたいなやつ)をさせられるというものだった! そこまで苦痛や辱めを伴うものではなかったし、あまりの時代錯誤に唖然としてしまったのもあって誰も何も言わなかった。 しかし、今の価値基準に照らし合わせれば、余裕でパワハラだろう。 まさに「不適切にもほどがある」だ。
最近のニュースに思うこと
つい最近まで自動車業界で働いていたので、 今話題の自動車業界の不正について思うところがある。
私が働いていた会社は件の2社ではないし、 自分の周りで不正が行われていた様子もなかった。
しかし、ダイハツへのインタビューで目についたコメントがあった。
「ト〇タの期待に応えることが最優先だった」
これは私がいた会社でも同じだった。
また、似たことが書かれた記事もあったが、 プロジェクトマネージャーが社外(OEM)にいて、社内でのプロジェクトマネージメントが機能していないケースもあった。 PM不在のプロジェクトは当然カオスになるのだが、マネージメントからすれば責任の所在が不明確な方が良かったのかもしれない。
おそらく、私のかつての同僚たちは今回の件を受けて、Eラーニングのコンプライアンス研修でも受けさせられているだろう。 しかし、問題はそこではない。 法律やルールを犯してはいけないことぐらい誰だって知っている。
あくまで個人の感想であり、もちろん一部の人間に限った話だが、 彼らには主体性や自立心がまるでないのだ。 上司のため、顧客のためなら自身の損得を顧みず、(時に犯罪レベルの)自己犠牲を取ろうとする。
その辺は家電業界も負けていなかった。 私が経験したいくつかの部署では、「上司の言うことは絶対です!」と吠えている社員が必ず一人はいた。 彼らは上司に「死ね」と言われれば、喜んで死ぬのだろう。
自動車業界がこの不正から脱却できるのかだが、おそらく無理だろう。 これらの会社では、既に過度な自己犠牲を厭わない社員を評価し、昇進させ、高い給料を払ってきたはずだ。 今さらそれらが全て間違いだったから、地位もお金も全て返してくださいとはならない。 それに今は株価も絶好調だ。
ほとぼりが冷めれば、彼らはまた得意の自己犠牲を、したりさせたりするのだろう。 私が製造業で学んだことの一つは、 「法律やルールは書き換えれば変わる。しかし文化を変えるのはかなり難しい。それがたとえ悪い文化でも」だ。
今後について
思いのほかダラダラとした感想と10年分の毒を吐いてしまったが、 こういうのも含めて「君たちはどう生きるか」が問われているのだと思う。
特に「主体性」は重要なキーワードだ。 及川氏の「ソフトウェアファースト」が言うようにソフトウェアは個人においても、企業においても主体性を確立する重要なツールだと思っている。 転職はしたが、これからも私のエンジニアライフは続くので、自身の主体性を確立するべく努力していきたい。